「五重」の相伝
さて「第五重」では、四重までとは異なり、巻物となる書物があるわけではありません。
それは相伝されるのが口授心伝(くじゅしんでん)、すなわち伝灯師(住職)の口からご受者の皆さまの心に直接伝えられるものだからです。強いて申せば、中国北魏時代の曇鸞大師(どんらんだいし)が著した『往生論註』に基づいています。
曇鸞大師は、龍樹菩薩に始まる中観派の学問を修め、仏性の研究を究めましたが、病を患って生命(いのち)には限りがあることを実感して浄土門に帰したと言われています。そのきっかけとなったのが、天竺(インド)から来た僧菩提流支(ぼだいるし)との運命的な出会いでした。
そして『往生論註』は、この菩提流支三蔵が訳した『往生論』に対する曇鸞大師による注釈であり、『往生論』は唯識の大成者であった世親菩薩が、経典に示される浄土の理解や、浄土への往生を願う心ばせを明らかにしたものであります。
さて、ここで伝えられる内容については、ご説明することが出来ません。それは今までの準備段階としての前行を真剣に行い、初重から四重までの教えをよくよく理解された方にのみ伝授されるべきものだからです。
また第五重では、二つの特別な儀式が別開されます。
一つは「剃度式(ていどしき)」であり、これは在家の信者の皆さまが(僧侶のように剃髪することなく)そのままのお姿で仏弟子となるための大切な儀式です。これに対して、僧侶(能化、のうけ)が正式の出家となるための儀式を得度式(とくどしき)と呼んでいます。
さて剃度式の中では、受者の皆さまは、普段と違って本尊に背を向けて、外陣側を向いている導師(剃度式においては和上と呼びます)により、この迷い多き世界を離れて仏門に入り、極楽浄土において覚りを目指すこと、このことこそが大いなる御恩に報いる道である旨が説かれます。続けて御髪剃(おかみそり)の作法が行われ、仏弟子の証(あかし)である袈裟、ならびに三帰三竟(さんきさんきょう)が授与されます。三帰三竟とは、仏教における三つの大切な宝(三宝)である、仏と法(教え)と僧(教えを伝承し実践している仏弟子たち)に帰依する旨を正式に表明するもので、古来より無数の仏教徒たちにより行われてきたものです。
この儀式は、たとえ姿かたちは在家のままであっても、心は世俗を離れた清らかなものとすべくお念仏の道を歩んで頂くための準備であります。
またこの儀式の中で、受者の皆さまは仏さまに誓いを立てます。それは「本日この時から毎日必ず念仏を欠かさず申します」という「日課念仏(にっかねんぶつ)」の誓いです。
二つは「懺悔道場(さんげどうじょう)」であります。
この儀式の中で、受者の皆さまは、本尊前で過去の過ちや罪を告白して、心の底から許しを請います。これはこの後に教えの相伝を受けるにあたり、その準備として、身体と言葉と思いによる一切の行い(身口意の三業)を清浄なものにするために行なわれまです。
また別名「暗夜道場(あんやどうじょう)」と呼ばれるように、受者は光が遮られた暗闇の道場に入り、一人づつ名前を呼ばれ、僧侶の手引きにより前に進み、阿弥陀さまとじかに対面します。懺悔を終えると導師が外陣向きに向きを変えて説示があり、道場は一転してあふれんばかりの光に包まれます(「光明道場」)。
この道場を通して、光明に満たされた浄土に生まれ変わる自らのお姿を感得して頂くことになります。
さてこの儀式を通して得られた清浄なる心を携えて、いよいよ第五重のクライマックスである「正伝法(しょうでんぼう)」に進んで頂きます。
この正伝法こそは元祖上人より脈々と受け継がれてきた浄土のみ教えの真髄を、受者のみなさまに相伝する大切な儀式でありますが、詳しいことはここではご説明する事が出来ません。
長い人生の中では、この五重相伝の数日というのは、ほんの一コマに過ぎないものかもしれません。しかしながら、五重相伝を受けられた方は実感するでありましょう。
仏道とは、そしてお念仏の道とは、まさしくご縁あった皆さま一人一人の心を育む道であり、五重相伝も、尊い浄土のみ教えをご自身の心で受け止めて頂くための大切な法要であることを。
改めて先般、当山で行った五重相伝を満行された皆さまの、晴れやかなお顔が思い出されます。
五重相伝を受けられた皆さまは、まさに全き安心(あんじん)のもと、念仏の道(白道、びゃくどう)を歩んで行かれるのであります。
さて、昨年に玉圓寺で開筵いたしました五重相伝を満行された皆さまより、感謝のお手紙が届いております。
次回はその中から受者の皆さまのお声をご紹介させて頂きたいと思います。