和尚のひとりごとNo148
第二 立教開宗(りっきょうかいしゅう)
~このわたくしにも身を寄せることができる教えがあった..実践可能な道があったのだ!~
【原文】
おおよそ仏教おおしといえども、所詮(しょせん)戒定恵(かいじょうえ)の三学(さんがく)をば過ぎず。いわゆる小乗(しょうじょう)の戒定恵、大乗(だいじょう)の戒定恵、顕教(けんぎょう)の戒定恵、密教(みっきょう)の戒定恵なり。
然(しか)るに我がこの身は、戒行(かいぎょう)において一戒をも持(たも)たず、禅定(ぜんじょう)において一つもこれを得ず。人師(にんじ)釈して、「尸羅(しら)清浄ならざれば三昧(さんまい)現前(げんぜん)せず」と云えり。
又、凡夫(ぼんぶ)の心は物に従いて移り易し。譬(たと)えば猿猴(えんこう)の、枝に伝うがごとし。実(まこと)に散乱して動じやすく、一心静まり難し。無漏(むろ)の正智(しょうち)何によりてか発(おこ)らんや。もし無漏の智剣(ちけん)なくば、いかでか悪業煩悩(あくごうぼんのう)のきずなを断たんや。
悪業煩悩のきずなを断たずば、何ぞ生死繋縛(しょうじけばく)の身を解脱(げだつ)する事を得んや。悲しきかな、悲しきかな。いかがせん、いかがせん。
ここに我等ごときは、すでに戒定恵の三学の器(うつわもの)にあらず。この三学の外(ほか)に、我が心に相応する法門(ほうもん)ありや、我が身に堪えたる修行やあると、よろずの智者に求め、諸(もろもろ)の学者に訪(とぶら)いしに、教うるに人もなく、示すに倫(ともがら)もなし。
然る間、嘆き嘆き経蔵(きょうぞう)に入り、悲しみ悲しみ聖教(しょうぎょう)に向いて、手ずから自ら披(ひら)き見しに、善導和尚(ぜんどうかしょう)の観経(かんぎょう)の疏(しょ)の、「一心に専(もっぱ)ら弥陀の名号(みょうごう)を念じ、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に時節(じせつ)の久近(くごん)を問わず、念々に捨てざる者(もの)、これを正定業(しょうじょうのごう)と名づく、彼の佛の願に順ずるが故に」という文を見得て後(のち)、我等がごとくの無智の身は、偏(ひとえ)にこの文を仰ぎ、専らこの理(ことわり)を憑(たの)みて、念々不捨(ねんねんふしゃ)の称名(しょうみょう)を修して、決定往生(けつじょうおうじょう)の業因(ごういん)に備(そな)うべし。
☆出典「聖光上人伝説の詞」昭法全四五九
【ことばの説明】
立教開宗とは「教えを立て、宗を開く」こと。
数ある「法然上人伝」が語るところによれば、上人が諸行(念仏以外の実践)を捨て、専修念仏(せんじゅねんぶつ) に帰したのは、承安5年(1175)の春3月であるとされ、浄土宗はこの年をもって「立教開宗」(浄土宗が開かれた年)としている。
そして今回ご紹介する御法語の後半に出る善導大師『観経疏(かんぎょうしょ)』の一文
「一心に専(もっぱ)ら弥陀の名号(みょうごう)を念じ、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に時節(じせつ)の久近(くごん)を問わず、念々に捨てざるもの、これを正定業(しょうじょうのごう)と名づく、彼の佛の願に順ずるが故に」を「立教開宗の文」と呼び、非常に大切なものとしている。
法然上人はこの一文に出会うことで、大きな宗教的な転換(改心)をされたのである。
なぜならここには「聖者ではない凡夫であっても救われる」浄土門の道が、「弥陀の名号を念じ」という実践の容易な方法論とともに明示されており、法然上人自身がこの教えによって救われ、この教えこそが修行を完成できる環境ではない末法濁世(まっぽうじょくせ)の世界に最も適合した教えであり、教えを求める全ての人に開かれた教えであることを確信されたからである。
浄土宗は、法然上人のこの確信から始まった。
戒定恵(かいじょうえ)の三学(さんがく)
仏教の実践を3つの側面から整理したもの。
第一に「戒」とは修行者に求められる行動の規範。仏教者が心がけるべきいましめ。
第二に「定」(禅定 ぜんじょう)とは心の散乱を防ぎ、平静に保つ実践法。
第三に「慧」(智恵)とは煩悩に曇らされない眼で、すべての物事の真実の姿を見極める智慧の事。
小乗(しょうじょう)
原語で「ヒーナヤーナ」といい、小さな(つまらない)乗り物の意味。
自己の宗教的な目的の達成を優先し、他者の救済や導きを軽視する立場とされる。
大乗(だいじょう)
原語で「マハーヤーナ」といい、大きな(優れた)乗り物の意味。
自己の悟りよりも他者救済を重視し、多くの人々を仏陀と同じ悟りに導く事を目指す立場とされる。
顕教(けんぎょう)
経典に記された言葉や文字で明らかに説き示された教え。密教以外の仏教のこと。
密教(みっきょう)
経典の言葉には明示されない真理を、秘密の教義と儀礼によって伝承しようとする立場。
人師(にんじ)釈して
権威ある仏教者を指す。ここでは天台教学の大成者である中国の天台大師智顗(538~597年)を指す。釈迦の一代仏教を段階的に組織立てて整理した当代一流の大学者であり、南岳慧思(なんがくえし)に親しく禅を学んだ実践者でもあった。
尸羅(しら)
サンスクリット語の「シーラ」の音を写した語で、三学の「戒」と同じ。
三昧(さんまい)
サンスクリット語の「サマーディ」の音を写した語で、三学の「定」と同じ。
心を一つのものに集中させて、安定した精神状態に入る事を目指すインドに伝統的な実践方法。
無漏(むろ)の正智(しょうち)
「漏(ろ)」とは煩悩の汚れの事、「無漏」は煩悩に汚されないものという意味で、「無漏の正智」とは、煩悩に汚されない眼で正しくあるがままに物事を見る事ができる聖者の智恵の事。
悪業煩悩(あくごうぼんのう)
「悪業」は仏教的な観点からみた〈悪い行い〉、「煩悩(クレーシャ)」は〈汚れた心〉という意味だが、仏教ではそれが転じて、私たちを悩まし、損ない、誤りに導く〈善くない心〉全般を「煩悩」と呼ぶようになった。
解脱(げだつ)
迷妄の束縛から開放されて完全に自由になること。仏教では〈悟り〉〈涅槃〉に同じ。
経蔵(きょうぞう)
三蔵の一つ。「三蔵」とは全ての仏教典籍を集成したもので、「経蔵」、「律蔵」、「論蔵」からなる。「経蔵」とは仏陀の言葉の集成である経典、「律蔵」とは修行者の行動規範や教団の運用規則の集成、「論蔵」とは経典の解釈から始まり、仏教の教えを思想的に純化させ哲学として独立させた典籍の集成。
ここでは「経蔵」は、巻物としての仏教典籍を集め収めた蔵のことを指している。
善導和尚(ぜんどうかしょう)の観経(かんぎょう)の疏(しょ)
善導和尚は唐代中国の学僧で、浄土思想家であり実践者。称名念仏(口で称える念仏)による凡夫の往生が可能である事を主著『観経疏(観無量寿経に対する註釈書)』で開示し、法然上人の浄土思想に多大な影響を与えた。法然上人は、「偏依善導(ひとえに善導による)」と言われたように、善導をみずからの思想と行動の軌範とし、最大の信頼を寄せていた。
【現代語訳】
同じ仏教でも、非常に数多くの教えが説かれているが、要するに仏教は〈戒定慧〉という「3つの実践」に収めることができる。
この考え方によれば、いわゆる小乗仏教には小乗仏教の〈戒定慧〉があり、それに対し大乗仏教には大乗仏教の〈戒定慧〉が存在する。同じく顕教には顕教の、密教には密教の、それぞれの〈戒定慧〉があるということになる。
しかしながら、じつのところ私は、このように仏道の基本柱である〈戒定慧〉という実践のうち、〈戒律〉ではただ一つの戒を守ることもできず、〈禅定〉を行っても何一つ上達することがない(ことを告白する)。
ある高僧が言うには、「戒を守りその身を清らかに保つことができないならば、禅定において心を集中させ、仏を眼前にありありとまみえる境地になど達することができない」ということだ。
また私たち凡夫(能力が特別に優れているわけではない普通の人)の精神状態というのは、常に目の前のものにとらわれて移ろいやすく、まるでサルが木の枝を次から次へと飛び移っていくかのようなもので、一瞬たりとも心を落ち着けて一つの対象に集中しているということができない。
そのような状態の私たちに〈正しくあるがままに物事を見る汚れのない智慧〉は、いったいどのように生じるというのか?
またもしこの〈優れた智慧〉がないとするならば、いかにして〈悪い行いや汚れた心〉を断ち切ることができるというのか?
そのようにして〈悪い行いや汚れた心〉を断ち切ることがなければ、いかにして生まれ変わり死に変わりを繰り返す私たちのこのからだを、迷いの束縛から解放させることができるというのか?
ああ、なんと悲しいことか。このままでは苦しみからの解放もかなわず、迷いの生死を繰り返すばかりではないか?
いったいどうすればよいというのか?
そうだ、私たちのような存在は、仏道修行の要である〈戒定慧〉という「3つの実践」に耐えることができる器量ではないのだ。
ではこの〈戒定慧〉以外に、愚かな私に見合う教えはあるだろうか?
この私に耐えられる修行はあるだろうか?
このように考え、たくさんの賢者や学者を訪ねたが、ついに答えは見出せず、道を示してくれる者はいなかった。
そうした中、悲嘆に暮れならがらも、経典を収蔵した蔵にこもり、今一度、仏や偉大な先達の尊い言葉の数々を、それこそ手あたり次第に一つ一つ隅から隅まで目を通してみた。
すると、中国の善導和尚が記した『観経疏』の中の一節に、
「ただひたすらに阿弥陀仏の名前を念じ、歩くときも、立ち止まるときも、あるいは座るときも、立ち上がるときも、およそ日常生活のあらゆる場面で、時間の長さにこだわらず、仏の名前を念ずることを止めないこと、これを〈正しく定まった行い〉であると名づける。なぜならば、これこそが阿弥陀仏の本願にかなった修行であるから」
という一文を見出したのだ。
この言葉に出会い、私たちのような智慧のない凡庸な存在は、ただひたすらにこの一文を仰ぎ、もっぱらここに言われた道理を信じて、常に口に出して称える念仏を実践し、それを保ち続けることで、必ず極楽往生が遂げられるように備えるべきであると思い至ったのである。
ここで法然上人は、自らの内面と、自らの置かれた状況とを、まことに正直に語っておられるように思う。ここでは、上人自身が仏道修行に耐えられる器ではないという。もっと言えば、修行を重ね学問を積んでも、一向に修行の完成が見えない焦燥と絶望さえ感じられる。
伝えるところによれば、上人はその持戒堅固な清僧ぶりが評価され、学徳兼備誉れ高いといわれていた。その上人ご自身が、自分は修行に耐えられず成仏もできない凡夫であると言い切っているのである。
また同時に、そうした存在であるにも関わらず、仏により救われる道があると明言されているのである。それが、阿弥陀仏の誓いを信じ、それに乗じようとする念仏の道である。
まずは思う。このインパクトはいかほどのものだったか?
当時、法然上人のもとにはせ参じた者たちは、確信したに違いない。
この方こそが本物の聖者であり学者ではないか?
もしくは、この方であれば全幅の信頼を寄せるに足る人物なのではないか?
当代一流の学者が、他人事ではない自身の問題として、仏法を考え抜かれた、そして末法の渦中にある当事者として、実存の問題を克服し見出された結論、それが念仏による往生の道だった訳である。
私は今一度、当時の仏教界に法然上人の「立教開宗」が与えたであろう衝撃を思い、その意味をかみしめたいと思っている。
合掌