和尚のひとりごとNo131
2018年月訓カレンダー6月 「「人柄はその一言にあらわれる」
我が子が、自分と同じ言葉を使っていてドキッとした経験はないでしょうか。
或いは自分の話す口調、口癖、仕草がどことなく親と似ていると感じたり、指摘された事はないでしょうか。子供は育った環境で親の姿を見、育てられた身近な大人の真似をして成長していきます。長年共に過ごしていると必然的に似てくるものであります。
お釈迦様とその弟子が修行中に町を歩いていた時、道端に一本の縄が落ちていました。
弟子がその縄に近づいて行くと、その縄から魚の腐った様な嫌な臭いがしたので、「この縄は臭くてとても使い物になりませんね。綺麗に洗って干しておきましょう」とお釈迦様に伝えました。
またしばらく歩いていると、今度は綺麗な紙が道端に落ちていました。弟子がその紙を拾うと、その紙からは良い香りがしたのでお釈迦様にお渡しし、「先程の縄もこの紙も、元々は匂いが無かったと思いますが、どうしてこの様な違いが有るのでしょうか?」と尋ねました。
するとお釈迦様は、「お前の言う通り、先程の縄もこの紙も元々は匂いが無かった。しかし、先程の縄は恐らく、釣った魚を縛っていたので嫌な臭いが付いたのであろう。
そしてこの紙は、良い香りのするお香を包んでいたのであろう。だから良い薫りがするのである。我々人間も同様、日々の行いが知らず知らずのうちに体に染み込んでいくのです。その事を肝に銘じて修行していく事が大切ですよ」とおっしゃられました。
体に染み込んでいく働き、匂いをつけていく働きを「薫習(くんじゅう)」と言います。
物に香りが染み付く様に、考えや行為が人の心の奥深くに影響を与え蓄積されていく事を言います。また仏道修行を身につけていく事も「薫習」と言います。香りというものは目に見えません。しかし、お釈迦様のお話の様に在る事は確かです。
お香を焚くと衣服にその香りが浸み込んでいきます。お香が無くなっても、浸み込んだ香りはいつまでも衣服に薫っています。薫習とはその様なものです。良い経験だけが都合よく浸透してくれるわけではありません。見た、聞いた、嗅いだ、味わった、触った、考えた、良いも悪いも全て否応無く貯蔵されていくのです。善い行いを身につけていけば我が心も善きものとなり、悪い行いが身につくと我が心も悪いものとなります。
人は生まれてから死ぬまで沢山の言葉の中で過ごします。家庭でも仕事場でも情報伝達の手段に言葉は不可欠です。そしてその言葉はその人の性格、心、人格そのものを映し出します。長年蓄積された言葉遣いがその人そのものとも言えるでしょう。出来る事ならば正しい言葉遣いで、日々善い行いを習慣づけて参りましょう。
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