和尚のひとりごとNo1130「法然上人一代記 58」
58.東山山麓に安置
法然上人のご遺言は次の通りでありました。
「私が滅したのち、その追善のための造仏や写経などをせず、報恩の志ある者は一向に念仏しなさい」
しかしながら高弟であった信空の発案により、世間のならわしに従い、中陰法要を勤めることになりました。直弟子であった隆寛、源智、湛空をはじめ、慈円や公胤といった高僧たちも参加して法要が営まれました。
法然上人が亡くなった住房の崖の上、西方を見たわせる眺望のよい場所がありましたが、上人の遺骸は石棺におさめられてそこに埋葬されました。現在の知恩院勢至堂の東に位置する御廟がそれにあたります。
上人の墓所に参詣する人々はあとをたたなかったと伝えられています。