和尚のひとりごと№1784「浄土宗月訓カレンダー8月の言葉」

和尚のひとりごと№1784「墓掃除 清められるのは私」

 8月はお盆を迎え、お墓参りに行かれる方も多いでしょう。お墓周りの草を抜き、綺麗に掃除をしてから、お花を供え、お線香に火を点けて手を合わせられる事だと思います。亡き人の事を想い供養していくと、自分自身の信仰も深まって参ります。墓掃除をする事は亡き人を大事に思っている現れです。それは同時に自分の心を清らかに育てさせていただく事になるのです。
 とある小学校の先生が突然亡くなりました。突然の出来事に誰もが悲しみに暮れました。そこで、「学校の生徒たちの悲しみを何とか癒してあげてください」と近所のお寺の和尚さんが学校に呼ばれました。和尚さんは悩みに悩んで、あるパフォーマンスを考えつきました。風船を膨らませて生徒の見ている前でその風船を割ったのです。もう一度新しい風船を膨らませると、再び針で刺して風船を割りました。生徒たちは皆「どういう事か」と騒ぎ出しました。そこで和尚さんは皆に質問しました。「風船の中身は何ですか」すると一人の生徒が「空気」と答えました。「そうですね。では風船が割れて、その空気はどこへ行ったのでしょう」と和尚さんは聞き返しました。生徒たちは皆考えました。そこで和尚さんは、「風船に入る空気はどこにあるの」と尋ねました。生徒たちは口々に、「ここにある。そこにある」と言います。和尚さんは再び風船を膨らませて針で刺して割ると、もう一度聞きました。「空気はどこへ行ったのでしょうか」すると生徒たちは、「そこにある。見えないだけ」と答えます。そこで和尚さんは空気を「魂」だとしたら、風船が「肉体」で、膨(ふく)らんだり萎(しぼ)んだりする事を「成長」や「老い」、「病気」と説明しました。そして風船が割れて空気が抜けてしまう事を「死」と見立ててお話しされました。和尚さんは続けて話しました。「死んだ人の姿は見えなくなっても全て無くなったわけではありません。見えなくても他の人の魂と一緒に居てるのです。だから亡くなった先生の事を思い出してください。その度に先生はすぐ傍まで来て見守ってくれています。そう考えるのが一つの宗教というものです」とお話しました。この話を聞いた生徒たちは、「死んでしまったからといって居てなくなったわけではないんだ」「いつも私たちを見守ってくれている」とそれぞれ「死」に対する考えを持つようになりました。「死」を受け入れる事によって悲しみの中にも生徒たちに笑顔が戻ってきました。
 宗教は「死」をどの様に理解し、遺された私たちがどう受け入れていくかです。宗教の要は死んで終わりではなく、亡き人を想い、今をしっかりと生き切る支えになる事です。浄土の御教えは、この世での命を終えたならば阿弥陀様に救われて西方極楽浄土で再会出来ると説く教えです。「死」を乗り越えていける御教えとなります。お墓参りを通じて亡き人を想い、信仰を育てさせていただきましょう。