和尚のひとりごと№1205「聖光上人御法語後遍十三」
和尚のひとりごと№1205「聖光上人御法語後遍十三」
滅罪増上縁(めつざいぞうじょうえん)とは下品上生(げぼんじょうしょう)の人を説いて、一念に五十億劫(おくこう)の罪を滅すと説き、下品下生(げぼんげしょう)には一念に八十億劫の罪を滅すと説けり。既に滅罪の多少を論ずる時、念仏のみこの滅罪あって、余行(よぎょう)は爾(し)からざるなり。
護念増上縁(ごねんぞうじょうえん)とは念仏の行者は仏意(ぶっち)に相応して、所化(しょけ)が能化別異(のうけべつい)の悲願に相応するという時は、殊(こと)にその護念(ごねん)が深きなり。
見仏三味増上縁(けんぶつざんまいぞうじょうえん)とは念仏と云うは、所期(しょご)が見仏(けんぶつ)にてある故なり。 之に依りて存生(ぞんしょう)の時、見奉らざる者は臨終(りんじゅう)の時、来迎(らいこう)の仏を見奉るぞかし。
摂生増上縁(せっしょうぞうじょうえん)とは引摂衆生(いんじょうしゅじょう)の増上縁なり。仏、娑婆(しゃば)に来たり行者を迎えて極楽(ごくらく)に帰り給うが故に、引摂衆生増上縁なり。娑婆と極楽との間の事なり。
証生増上縁(しょうしょうぞうじょうえん)とは極楽に往生し終り、仏、引摂しおわりて思いなく極楽に安堵(あんど)し給うなり。
訳
五種増上縁(ごしゅぞうじょうえん)
滅罪増上(めつざいぞうじょう)縁(えん)とは、下品上生(げぼんじょうしょう)の人たちについて説かれる中で、一念にて五十憶劫に相当する罪を消滅させるとし、下品下生(げぼんげしょう)の人たちについて説く中では、一念にて八十憶劫に相当する罪を消滅させるとしている。すでに滅罪の時間について議論する中で、念仏にのみこの効能があり、それ以外の行にはないとされている。
護念増上縁(ごねんぞうじょうえん)とは、念仏の行者が仏の本意に合致し、救済される念仏者が救済せんとされる仏の大悲誓願に合致する時、特にその護念が深いことをいう。
見仏三昧増上縁(けんぶつざんまいぞうじょうえん)というは、念仏の目的が見仏の体験にあるからこそである。このことより平生存命中に仏を見奉れずとも臨終のとき、来迎される仏を拝見することができる。
摂生増上縁(せっしょうぞうじょうえん)とは、仏が衆生を引接(いんじょう)せんとされる増上縁である。仏はこの娑婆世界に来られ念仏行者を迎えて、極楽へと帰られるが故に摂生増上縁と呼ぶ。娑婆と極楽を結ぶ縁である。
証生増上縁(しょうしょうぞうじょうえん)とは、極楽へ往生し終わり、仏は引摂(いんじょう)し終わられて、御仏心残りなく極楽世界に安堵されることをいう。