和尚のひとりごと№1202「聖光上人御法語後遍九」
和尚のひとりごと№1202「聖光上人御法語後遍九」
凡夫(ぼんぶ)と云うは是れ時に随(したが)い物に随い、その心、転変散乱(てんぺんさんらん)するなり。之に依りて朝(あした)に思うことはタベに違(たが)い、タベに思うことは朝に違う。もっとも之を用うべし。 たとい日ごろは往生を期(ご)すれども、重病に沈み苦に逼(せ)めらるる時は、先念忘失(せんねんもうしつ)して後念顚倒(ごねんてんどう)せん。
その時、善知識(ぜんちしき)を用いて退屈(たいくつ)の心を勧むべきなり。是れ則ち存生(ぞんしょう)の思いと最後のおもいと相違すればなり。もっとも善知識を用うべきなり。
訳
臨終の善知識
凡夫は、その時どきに触れる対象にとらわれて、常に心が移ろい散乱する存在である。この事より朝方に願ったことに対して夕方には逆らい、夕方に想ったことに対して朝方には違えることもある。何よりも必ず善知識を頼むのだ。たとえ平生は浄土往生を願っていても、重い病に罹り苦しみに苛(さいな)まれる時には、先の往生心を忘れ後生への想いも退いてしまう。
その時に善知識に頼んで気力失せてしまった心を励ましてもらうべきである。すなわちこれ常日頃の想いと最後臨終の時の思いが相違してしまっているのである。何よりも必ず善知識を頼むのだ。