和尚のひとりごとNo1120「法然上人一代記 48」
48.讃岐への道
流罪になった法然上人はこのように語ったそうです。
「未だ讃岐の地には念仏の有難さを知らぬ人々も数多くいるだろう。そうであれば私はそれらの人々に教えを説き、念仏の有難さを伝えたい」
弟子たちは師法然上人の身を案ずるあまり、念仏の流通をいったんやめてはどうかと申し出たのでしたが、法然上人の信念はこのようでありました。
四国への道中、折に触れて様々な人々を化益(けやく)したと伝えられます。
当時港町として大いに繁栄していた神崎(かんざき)で舟が着いた時のことです。宮城という遊女が自ら舟を操り、法然上人の舟に横付けしました。舟には吾妻・刈藻・小倉・大仁という四人の遊女が同船していたようです。宮城は尋ねます。
「仏教の教えでは女人は救われぬ、ましてや私どものように日々罪を重ねなければ生きてゆけぬ者たちはなおさらのこと。そのように聞き及んでおりますが、どうか次の生においてこそ救われる教えをお聞かせくださいませ」
法然上人は答えます。
「阿弥陀仏の名号を称えることだ。そうすれば次生においては極楽浄土に生まれることができ、現世での罪業も滅することだろう」
遊女たちの喜びは如何ほどであったでしょう。