和尚のひとりごとNo1087「浄土宗月訓カレンダー9月の言葉」
「充分と思い日々暮らす」
夏の暑さもやわらいでまいりました。過ごし易い秋です。スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋と言われ、食べ物も美味しく感じる季節です。秋の食べ物に梨があります。その梨にまつわる面白いエピソードがあります。
或るお寺の和尚さんが檀家さんのお参りに行かれた時に、梨を二つ戴きました。お寺に持って帰ってこっそり一人で食べようとしたところ二人の弟子が寄ってきて、「和尚さん今日は梨を戴いたんですか?」と聞いてきました。和尚さんは、「おう、そうじゃ。お参りに行くと美味しそうに実った梨をワザワザ切り落としてくださってな、二つ頂いてきた。捥ぎたて、取り立ての梨じゃ。まぁ、お下がりを戴いたんじゃが、お前たちにも分けてやろうと思う。しかし、あいにく二つしかない。そうじゃな、ワザワザ梯子(はしご)まで出して切り落としてくれた梨、『切りとうもあり、切りとうもなし』という言葉を下の句に入れて、先に歌を上手く創れた者に一つやろう。」と歌の問題を出されました。
早速一人の弟子が、「和尚さん出来ました。『月が出て、松の小枝が邪魔なれば、切りとうもあり、切りとうもなし』如何でしょうか?」と答えられました。「ほほう、『月が出て、松の小枝が邪魔なれば、切りとうもあり、切りとうもなし』なかなか上手く詠んだな。ではお前に一つやろう。」と先に歌を創った弟子に渡そうとしたところ、もう一人の弟子が、「和尚さん、私も出来ましたので、一応お聞きください。『梨一つ、惜しむ和尚の細首を、切りとうもあり、切りとうもなし
』」ともう一人の弟子は言い放ちました。梨を独り占めしようとしていた和尚さんは顔を真っ赤にして反省し、「そうかそうか、すまなんだな。お互い仲良く分けて戴こう。」と二つの梨を三人で仲良く分けて戴かれたそうです。
「小欲知足(しょうよくちそく)」という仏教語があります。得られないものを欲する事なく、欲を抑え、既に得ているものに満足し心穏やかに過ごしていく事です。私たちの日暮らしはどうでしょうか。物欲、食欲に限らず、地位や名誉に至るまで「あれが欲しい、これが欲しい。こうしたい、こうなりたい。」と際限なく欲が湧いてくるものです。生きている限りは仕方のない事です。そのような有り様を受け入れ、法然上人は、人間の欲や煩悩については、そのままでお念仏申していけば良いと示されました。たとえお念仏を申して過ごしていても様々な雑念が入ってくるものです。そういった雑念を払ってお念仏をお称えする事は、自分の体から目や耳や鼻を取ってお称えしようとするようなものです。生まれた時から持っているものを取り去らなければ真実のお念仏を申せないのでは誰も救われません。欲や煩悩は生まれる前から持ち合わせ、育ててきてしまったものです。そのままでお念仏を申していると自然に気にならなくなるものです。先ずはお念仏をお称えする事が肝心なのです。無理せず、怠らずありのままの姿でお念仏申して過ごして参りましょう。