和尚のひとりごとNo1076「法然上人一代記 6」
6.菩提寺へ
さて近くの那岐山(なぎさん)にて菩提寺を守っていた叔父の観覚得業は、若かりし頃今日の都比叡の山にて学び、天台教学を修めた学僧でありました。夜半の襲撃のあと、得業は勢至丸の身を案じて母子にこのように申し出ました。
「いまだ定朗郎党はどこかに潜んでいるかもしれぬ。あととりとなる勢至丸の命を狙っていないとも限らない。ここ菩提寺は山深い。容易に人に見つかる場所でもないだろう。また出家の身となればたとえ見習いとはいえ、俗世の眼から隠すこともできる。私が勢至丸を預かろう。」
母も弟の申し出に意を決して、勢至丸を預ける事に致しました。時に勢至丸九歳のころと伝えられます。
観覚は勢至丸を教育し、それに応える勢至丸もまことに聡明でありましたらから、見る間に仏教の教えの初歩を身につけ修行を続けました。
「まこと聡明なるかな、このような子供は是非とも京都比叡のお山にて勉学をさせたい。」
勢至丸の素質を見た観覚は母にこのように相談しました。