和尚のひとりごとNo1073「法然上人一代記 3」
3.西の方を向いて拝む
このようにして念願の大切なあととりに恵まれた時国夫婦は、子供の名を勢至丸(せいしまる)と名づけました。実は時国の妻秦氏(はたうじ)の弟である観覚得業(かんがくとくごう)は天台宗の菩提寺というお寺の住職でした。観覚との交流を通じて時国夫婦は、恐らく深い信仰心を育てていたでありましょうし、法然上人の幼名の勢至丸という名前には勢至菩薩さまの智慧にあやかりたという二人の願いが込められていた事でしょう。
さて勢至丸、両親の期待を受けてすくすくと育ち、近隣の子供たちとも竹馬や凧(たこ)あげをして遊びました。このように一見すると普通の子供たちと何も変わるところはありませんでしたが、ひとつだけ他の子どもたちとは違った点があったと伝えられています。
それは遊びの最中であっても突然、西の彼方を見つめて手を合わせることがしばしばであった事です。
「おやまた勢至丸が手を合わせているぞ。」
近隣の子供たちにしてみれば、不思議でならなかったのでしょう。これは信仰篤い両親のもとで育った勢至丸にしてみればごく自然のことであったのかも知れませんが、やがてこの姿はいにしえの中国にいた立派な僧の姿とそっくりだとも噂されるようになりました。