和尚のひとりごと№1885「浄土宗月訓カレンダー12月の言葉」
和尚のひとりごと№1885「見守られている幸せ」
親指と小指だけを立てて、中の三つの指は握ってください。丁度電話をかける時にする仕草です。仏と衆生(しゅじょう)は親子の如くと言われます。衆生とは私たち人間の事です。親指を阿弥陀仏、親様と例えるならば、小指は私たち衆生という事になります。そして指紋のある方がお顔とします。すると親指の指紋の有る方が阿弥陀親様のお顔です。小指の指紋のある方が私たちの顔になります。この阿弥陀様、親指はどちらの方を向いているでしょうか。小指の方を向いています。それに対して私たち衆生、小指はどちらを向いているでしょうか。真っ直ぐ前を向いています。親指は小指の方を向いていますが、小指は親指の方には向いていません。阿弥陀親様はいつも私たちの方を見てくださっている事の例えです。更に親指は小指の方へ曲がります。しかし小指は親指の方へは曲がりません。これは阿弥陀親様の方から私たちの方へ近づいて来てくださるという事の例えです。親指は小指の方向へ曲げ動かす事は出来ますが、小指である私たちは親指の方へは近づいていけせん。それは中の三つの指、人差し指、中指、薬指が邪魔をしているからです。あれも欲しいこれも欲しいという貪りの心。すぐに腹を立ててしまう瞋恚(しんに)、怒りの心。そして正しい事を正しいと分からない愚痴(ぐち)の心。「貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)」という三つの煩悩(ぼんのう)が邪魔をするからの例えです。しかし阿弥陀様(親指)はいつも私たち(小指)を見守っていてくれるのです。そして、阿弥陀様の方からお迎えに来てくださるのです。
法然上人は、「弥陀の本願を深く信じて、念仏して往生を願う人をば、弥陀仏より始め奉りて、十方の諸仏・菩薩・観音・勢至・無数(むしゅ)の菩薩、この人を囲繞(いにょう)して、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、夜昼をも嫌わず、影の如くに添いて、諸々の横悩(おうのう)をなす悪鬼(あっき)悪神(あくじん)の便りを払い除き給いて、現世には横さまなる煩いなく安穏(あんのん)にして、命終の時は極楽世界へ迎え給うなり」(『浄土宗略抄』)と示されました。
阿弥陀様の本願を深く信じ、念仏して往生を願うならば、阿弥陀様のみならずあらゆる世界の仏様や菩薩様方がその人を取り囲んでくださり、いつでも影の如くに寄り添って思わぬ悩み事をもたらす魔のつけ入る隙を払い除いてくださり、平穏無事に過ごさせていただけるのです。そして命終わる時には極楽浄土へとお迎えくださいます。その様にお受け取りいただくのが信仰の深まりです。
阿弥陀様は南無阿弥陀仏のお念仏に必ず応じてお出ましくださるので「応声即現(おうしょうそくげん)」と言います。また「名体不離(みょうたいふり)」と言って、阿弥陀様のお名前と御本体は離れる事なく一緒なのです。いつでも影の如くに寄り添って見守ってくれている、その御心を幸せと頂戴して日々お念仏申して過ごして参りましょう。