和尚のひとりごと№1855「浄土宗月訓カレンダー11月の言葉」
和尚のひとりごと№1855「共に願い共に生きる」
法然上人のお弟子になられたお方で、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)<1138~1207年>という武蔵国(むさしのくに)・関東出身の武士が居ます。一ノ谷の合戦(1184年)で、わずか16、7歳の若武者・平敦盛(たいらのあつもり)という平家方武士の首を討ち取った人物です。その出来事を一つの契機として、自分自身の罪を悔い、出家されたと言われています。出家の身となり、蓮生(れんせい)法師と名を改めて、お念仏一行に励まれたお方です。
出家された後、法然上人に仕えて居られた蓮生法師ですが、病に伏せる母を見舞う為に度々、生まれ故郷の坂東(ばんどう)に下っておられます。京の都から坂東は、方角では西から東に向かう事になります。馬で向かおうとすると、西に背中を向ける事になります。西は西方極楽浄土、阿弥陀様の在します方角になります。武将の頃は敵に背中は見せないのがポリシーであった「日本一の剛(ごう)の者」と称された武士です。西方に在します阿弥陀様や、京の都に居られる法然上人にお尻は向けられぬと思ったのでしょう。馬の頭を東に向けて片手で手綱(たづな)を取り、自分は西を拝みながら帰郷したと伝えられています。関東一の荒武者と言われた武士ですから、馬の扱いも一流だったのでしょうか。
法然上人のお伝記(『法然上人行状絵図』)には、「蓮生、<行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、不背西方(ふはいさいほう)>」の文を深く信じけるにや、あからさまにも西をうしろにせざりければ、京より関東へ下ける時も、鞍を逆さまに置かせて馬にも逆さまに乗りて、口を引かせけるとなん。」と記されています。
どの様な時でも西に背を向けるなという事を深く信じていたのです。「行住坐臥、不背西方」は、唐の窺基(きき)<632~682年>が記したとされる、『西方要決(さいほうようけつ)』に見られる句です。法然上人は、『選択本願念仏集』にその句を引用されました。遙か西方にある極楽浄土への往生を願う為、一日中何をするにも西に背を向けてはならないと、信仰を深める為の文言として記されました。蓮生はそれを深く心に刻んで、日々実践したというのです。事実かどうかは分かりかねるとしても、それだけ熱心に西方極楽浄土を想い、阿弥陀様を信じ、極楽往生を願っておられたという事です。
蓮生は武士として、多くの命を奪い取って生きねばならなかった半生でした。しかし、出家してからは苦しみの無い西方極楽浄土を共に願われ、戦乱の世の中を念仏一筋に生き切られたのです。私たちも思い通りにはいかない世の中、苦しみ悲しみの尽きない世の中ですが、南無阿弥陀仏と共にお念仏申して生き切って参りましょう。