和尚のひとりごと№1603「浄土宗月訓カレンダー2月の言葉」
和尚のひとりごと№1603「日々の合掌 心の手当て」
胸の前で両手を合わせる姿を「合掌」と言います。食事を頂く時にも手を合わせて「合掌」する方も多いと思います。この「合掌」という姿は古代インドで為されていた所作でした。挨拶をする時に「ナマステ」という言葉をかけ、両手を胸の前で合わせる仕草を見かけた事はないでしょうか。「ナマステ」とは相手に対する敬意を表し、「あなたを敬います」という意味になります。また、古代インドでは右手が「清浄の手」で、左手は「不浄の手」とされてきました。「清浄」と「不浄」の掌(てのひら)を合わせる事で、差別や区別の無い調和を表す姿とされました。そこから相手と自分との壁を取り除き、お互い敬い合う意味を表現した姿が「合掌」と言われます。この所作が仏教にも取り入れられました。仏教では右手が悩み苦しみの無い「仏様」で、左手が悩み苦しみの中で生きる「衆生(しゅじょう)」、私たち人間と説きます。その左右が合わさる事で、「仏様」と「衆生」が一つになり、共に仏に成る事を意味します。お互いを敬い合う「合掌」の姿は世界一美しい姿と言われます。
相手を敬う事で、驕(おご)り高ぶった気持ちや、わがままな我が姿を治すと言われます。浄土宗では「有縁(うえん)の聖人(しょうにん)」を敬うようにと説きます。「有縁の聖人」とは阿弥陀様の事です。「行住座臥(ぎょうじゅうざが)西方に背かず」と、いつも阿弥陀様の在(ま)します西方極楽浄土を敬い、「涕唾便痢(ていだべんり)西方に向かわず」と言って、西に向かって唾を吐いたり、不浄の行いをしないようにと戒められます。そこまで厳しく極端に律せずとも、信仰の上では阿弥陀様と阿弥陀様の在します西方に敬いの心を持ち、信仰心を深めましょうという事です。
法然上人のお弟子になられた熊谷直実(くまがいなおざね)<1141〜1207>、後に出家して法力房(ほうりきぼう)蓮生(れんせい)と成られた方が居られます。この蓮生法師(ほっし)は、京都の法然上人の元で修行に励んでいる際、一時、故郷の熊谷に帰る事になりました。現在の埼玉県熊谷市(くまがやし)です。京都から埼玉ですから西から東に帰る時、西には阿弥陀様が居られる方角になります。東を向いて馬を走らせると、西にお尻を向ける事になるというので、馬の鞍(くら)を前後反対に乗せ、西に正面を向いて馬に逆さに乗った状態で故郷の熊谷まで帰ったそうです。そこまで極端にならずとも、常に西方極楽浄土に在します阿弥陀様に想いを寄せて敬っていく事で信仰が深まるものです。至らぬ我が姿を見つめ信仰が深まれば、相手にも敬う心が自ずと生まれてきます。お互いがお互いを敬い合い、日々穏やかな日暮らしを心がけて参りましょう。