和尚のひとりごと№1572「浄土宗月訓カレンダー1月の言葉」
和尚のひとりごと№1572「一人ひとつの積み重ね」
仏教で人間の食べ物には四つ有るとされます。これを四食(しじき)と言います。
1、段食(だんじき):私たちが朝昼晩といつも食べている食べ物の事です。目に見える物で口から体内に取り込みます。しかしこれだけでは人間は生きていけません。
2、触食(そくじき):体に触れて得られる安らぎ、安心感や満足感の事です。例えば赤ん坊がお母さんに抱っこされて安心して眠る事や、大人でも傍で気にかけてくれる人が居れば心強いものです。そういう安心感は心の栄養になります。口から取り入れる食べ物ではありませんが、様々な物事に触れて喜びや楽しさを感じる事によって生きるエネルギーになります。
3、思食(しじき):これは夢や希望といったものです。目には見えないけれども困難に立ち向かっていく時に湧いてくる前へ進もうという思いです。目標を立てて、夢を描いて生きて行く事でイキイキと生きる事が出来ます。人間を生かす原動力になります。
4、識食(しきじき):これは生きようとする意識そのもの。何としても生きていきたいという欲ですが、この意識が有るので、生きていこうという力が湧いてくると言います。心の働きで体は元気にもなるし、病気にもなります。心そのものが体を支える大切な働きになると説かれます。
以上の様に私たちは口から取り入れる食べ物だけではなく、環境や周囲との関わり、心の働き等によっても心身が養われ生かされているのです。ノーベル平和賞を受賞したマザーテレサさんは、「人間として最も悲惨な事は貧しさでも病気でもない。それは自分はもう全ての人から見放されていると感じる時だ」という言葉を残されました。人間にとって孤独感や人に見放される事程怖いものはありません。そうなってしまっては生きていても死んでいるのと同じです。「私は生きている」と実感出来るのは生き甲斐を見出せた時です。お互いが存在を確認しあって自分は必要とされている、見守られているという事に気づき、共に生きている事が分かって心強く生きていけるものです。
自分自身の行いと周りに与えた影響力を業(ごう)と言います。業は今この世に生まれる前の世からの積み重ねでもあります。決して他人に対して言うべき事柄ではありません。自分自身の存在を意味付ける仏教的な受け止め方として、我が事として受け入れるべき事柄です。前の世からの積み重ねで今の自分が「今」ここに存在するのだと受け止める考えです。過去に行ってきた自分自身の行いと影響力とその働きの元になるのが意識です。これら全て自分自身の行いの積み重ねで作り上げられるものです。ですから何気無い行いが意識に積み重ねられてまた次の行いの元になってきます。その行いがまた意識に積み上げられて、次の行いに繋がるのです。一人一人、その一つの行動が次の行動へと繋がっていきます。そしてお互い支え合いながら喜びを享受する事が生きる力となるのです。出来るだけ善い行いを心掛けて暮らして参りましょう。