和尚のひとりごと№1203「聖光上人御法語後遍十一」

和尚のひとりごと№1203「聖光上人御法語後遍十一」

 

念仏の一門に約しても、その機区(きまちまち)にして一種に非(あら)ず。或いは別時の力をうちすてて、此れをもって往生を待ちいたるもあらんずるぞ。或いは別時念仏の機もあり、尋常(じんじょう)念仏の機もあり、臨終(りんじゅ)念仏の機もあり。此等皆往生す。
之に依りて諸教諸経(しょきょうしょぎょう)に明かす所の念仏の機、この三つを出(いで)ず。之に依りて尋常念仏の機、臨終念仏の機の意(い)を以って別時念仏の機を難ずべからず。

 

念仏の機は区区

念仏の法門ひとつに絞っても、実践する者の機根は一様ではない。別時への気力を捨て去って、平生の念仏にて往生を期する者もいる。あるいは別時念仏の機根を持つ者もいる。尋常念仏の機根を持つ者もいれば、臨終念仏の機根を持つ者もある。彼らは皆往生するのである。
これによって諸もろの教え、経典に説き明かされる念仏の機根は、これら三つを出ることはない。この事により尋常念仏の機や臨終念仏の機の意をもって別時念仏の機を非難するような事があってはならない。