和尚のひとりごと№1169「聖光上人御法語前遍八」
和尚のひとりごと№1169「聖光上人御法語前遍八」
弟子、弁阿弥陀仏(べんあみだぶつ)よくよくもろもろの人人に皆心得(みなこころえ)させんが為め、四句(しく)を作って末代に送る。内虚(うちむな)しく外実(ほかまこと)なるこの人は往生に非ず。内が実に外が虚しきは往生の人なり。内外倶(ないげとも)に実なるは決定往生(けつじょうおうじょう)の人なり。内外倶に虚しきは此れ世間の罪人なり。
善導所立(しょりゅう)の浄土宗の意(こころ)は、この四句の中に第三内外俱に実なる人を以て本意とす。内に真実往生の志(こころざし)深く、外には無間(むけん)に念仏申す。是れ真実一向専修(しんじついっこうせんじゅ)の念仏者、決定往生の行者なり。
訳
法然上人の弟子たる弁阿弥陀仏(べんあみだぶつ)(聖光上人)は人々によくよく教えの真髄を知らしめんが為に、次の四句を作って後の世に伝えようと思う。
内面の信が虚偽であり、外面だけで形だけの実践をする者は往生できない。
内面の信が誠(まこと)でありながらも、外面では実践が伴わぬ者は往生できる。
内面の信が誠(まこと)であり、外面でも実践を伴う者は必ず往生できる。
内面の信がなく、外面にも実践を伴わぬ者、これは今の世の罪人に等しい者たちである。
善導大師が建てられた浄土の教えは、これら四句の中の第三、内面・外面ともに誠(まこと)なる人をこそ本意としている。内面に本当に往生できるのだとの志を深く持って、外面では絶え間なく念仏を相続していくこと。これこそが真実の一向専修なる念仏の行者の姿、往生が決定した行者である。