和尚のひとりごと№1164「聖光上人御法語前遍三」

和尚のひとりごと№1164「聖光上人御法語前遍三」

沙門某甲(しゃもんむこう)、昔聖道門(しょうどうもん)を学(がく)せしの時、いささか彼の浄仏国土(じょうぶつこくど)、成就業生の義を習い伝え、今浄土門に入(い)るの後(のち)、また此の選本願念仏往生(せんちゃくほんがんねんぶつおうじょう)の義を相承(そうじょう)す。 二師の相伝を以(もつ)て聖教(しょうぎょう)の諸文(しょもん)を見るに、その義、更(さら)に以て教文(きょうもん)に違(たが)わず。単(ひとえ)に聖道門の人、 単に浄土門の人は之を知るべからず。聖道浄土兼学の人これを知るべし。
此の意(こころ)を得てより一切の大乗経を披(ひら)き、一切の大乗論を見るに、随喜(ずいき)の涙禁じ難(がた)し。此れ則ち聖教(しょうぎょう)の源底(げんてい)なり、法門の奥義(おうぎ)なり、仏菩薩(ぶつぼさつ)の秘術なり。

 

沙門(しゃもん)であるわたくしは、かつて聖道門を学んでいたときに、浄仏国土(じょうぶっこくど)、成就衆生(じょうじゅしゅじょう)の義を教わったが、今改めて浄土門に入ってよりは、この選択本願念仏往生(せんちゃくほんがんねんぶつおうじょう)の教えを受け継いだ。
善導大師と法然上人から教えを相承してから、聖道門の諸々の教えを表す文を見てみると、受け継いだ浄土門の教えはこれらの文と義が相違することはなかった。
ただ聖道門のみを修学する人、そして浄土門のみを専らとする人には、教えが相違していないというこの義を知ることは出来ない。二つの道をともに学ぶ人こそがこの義を知るのである。
この事を心得てからは、あらゆる大乗の経文(きょうもん)を開き、あるいはあらゆる大乗の論書を見るにつけ、随喜(ずいき)の涙禁じ得ないほどである。二つの道に異なるところがないという事こそが聖なる御教えの根底となる真実であり、法門の奥義であり、諸仏・諸菩薩が伝える秘儀である。

沙門
シュラマナ(サマナ)の音写で「勤め励む人」の意で修行者を指す。日本や中国で自ら沙門と名乗る際は仏教出家者の事。

浄仏国土成就衆生
仏の国土を浄らかならしめ、衆生を教化する事を内容とした大乗菩薩が修めるべき化他行。

選択本願念仏往生
仏によって選び取られた本願の念仏により往生を目指す教え。

随喜
本来は他人の善き行いを見て心から喜び褒めたたえること。さらに教えを聴いて心に喜悦を感じ、仏道に精進する事を意味するようになった。

誕生山聖光院吉祥寺   聖光上人誕生の地に建立されたお寺です。   ご本尊は、聖光上人が母の冥福と世の婦人のために安産を祈って一刀三禮自ら彫刻をされた腹帯阿弥陀如来さまです。