和尚のひとりごとNo1075「法然上人一代記 5」
5.父の死
時はまさに夜半でのこと、時国は深い痛手を負ってしまいました。襲撃のさなか、勢至丸は勇ましくも普段遊んでいた弓矢を敵の眉間(みけん)に向けて放ち、定朗はそのせいで軍勢の指揮をとることもままならずに撤退していきました。定朗の郎党いずこへ去ったのか、それ以来姿を見せることはなかったと伝えられます。
さて時国はその時、敵に受けた傷が致命傷となり命果ててしまうことと相成りますが、瀕死の枕辺(まくらべ)に勢至丸を呼びこのように遺言致しました。
「さぞかし憎い敵であろうとも決して恨みを持ってはならない。これは前世よりの業が招いた結果なのだから。もしお前が敵を親のかたきと憎み仇を討つようなことがあれば、その将来互いの子々孫々にまでそれは及んでいくだろう。
恨みを離れ俗世を捨てて、私の菩提を弔ってくれればそれでよい。」
恨みをもってしては恨みの連鎖を断ち切ることはできない。ただ恨みを持たぬことだけが心の平安をもたらす。かつて釈尊が仰った真理がここで、実の父の口より幼少の勢至丸に伝えられました。
俗世の愛憎を離れて出世間の悟りへと向かう道がまさにここに示されたのです。