和尚のひとりごと№1815「浄土宗月訓カレンダー9月の言葉」

和尚のひとりごと№1815「西の彼方の確かな場所」

 

 ミステリーツアーという旅行があります。集合場所とその日時、旅行費だけが決まっていてその他は秘密という旅行です。この旅行に参加された方が居られます。指定された大阪駅に朝九時に集合すると旅行会社の添乗員さんが旗を持って待って居られ、やがて三十名近くの参加者が集まったそうです。そして時間がくると添乗員さんが「さぁ行きましょう」と目的地が告げられる事も無く、旗を目印に皆で大移動です。駅の団体様専用入口から電車に乗ります。切符は添乗員さんがまとめて持っているので何処迄乗るのか分かりません。この何処へ連れて行かれるのか分からないという不安感、ドキドキ感がミステリーツアーの楽しみだそうです。その後、岡山駅で降ろされ、そこから貸し切りバスに乗り、やがて瀬戸大橋を渡って、橋の途中で小島に下りるサービスエリアで昼食を摂り再出発。「さぁ着きましたよ」と到着したのは、道後温泉だったそうです。皆、謎が解けたと喜びながらその日は温泉宿でゆっくり過ごされました。明くる日は観光巡りにお買い物、美味しい食事も戴き、それから…。これ最終的には何処に行くか。勿論、集合した大阪駅まで送り届けてくれます。途中の目的地は分からなくても最後はきちんと元来た所へ送り届けてくれると分かっているから、不安なく参加出来ます。しかし行き先も目的地も定かでなく、「はいここが最後です。どうぞ降りてください」と降ろされた場所が一体何処なのか分からなかったらどうでしょう。 
 このミステリーツアー、我が身の人生と照らし合わせるとどうでしょうか。ある程度予測して人生設計は立てる事は出来ても、一体どこでどうなのるかは誰にも分かるものではないのが人生です。一寸先は闇です。先が分からないけれどもあまり深く考えないので日々の暮らしが出来るのです。旅行と違って考えても分からないからそこまで不安になりません。しかし、年齢を重ねていくとどうでしょうか。一体この我が身はどうなるのか。どこへ行くのかと真剣に向き合わなければならない時、自ずと真剣に考えさせられる時が来ると言われます。
 「三愛(さんあい)」と言う言葉があります。一つは「境界愛(きょうがいあい)」。これは、自分の愛する家族や財産に対する執着心。二つ目は「自体愛」。自分のこの身体と別かれていかねばならない苦しみ。そして三つ目は「当生愛」。死後どうなるのか分からない、死んだ後に対する不安です。所謂後生、後の世に対する恐れです。これらは年老いて、「死」というものに真剣に向き合わねばならなくなった時に自ずと沸き起こってくる苦しみと言われています。今はまさか自分が死ぬとは考えないものです。しかし誰もが必ず迎えなければならないのが「死」です。
 南無阿弥陀佛の念仏者は、死んで全て終わりではなく、行き先か決まっていないわけではありません。お念仏を申して過ごしていたならば必ず阿弥陀様に迎え摂っていただき、西方極楽浄土に「往生」させていただけるのです。人生はステリーツアーのようですが、お念仏の御縁を頂戴した私たちの行き着く確かな場所は西方極楽浄土と心の置き所を据えて、日々お念仏申して過ごして参りましょう。