和尚のひとりごと№1541「浄土宗月訓カレンダー12月の言葉」

和尚のひとりごと№1541「希望の灯どこまでも」

 

 「燈(ともしび)」という漢字には、神仏へ火が消えないようにお供えするという意味があるそうです。燈明や松明(たいまつ)は仏事には欠かせない物の一つです。また死者を葬う際には松明を用いて引導を渡します。それは中国、唐の時代、黄檗(おうばく)希運(きうん)禅師(西暦八百年頃)が母の溺死に際して松明を投げ、経文を発したのが始まりと言われています。
 希運禅師は幼少の頃に父と死別し、母と二人で過ごしていました。しかし父を亡くしたという無常観から、やがて出家する事となりました。母と離れ、住んでいた故郷を出て二十年が過ぎた頃です。出家の身となっても親子の絆は切り難く、母に会いたいと願う気持ちは消えずに過ごしていました。母もまた我が子への思いが募り、情に堪えかねてその悲しみから失明してしまったといいます。そこで年老いた母は息子に会いたい気持ちから、雲水(うんすい)<行脚僧>を家に招き、宿泊させて、その度に旅僧の足を洗って過ごしていました。それは出家した息子の足には瘤があり、目は見えなくなっても手で触れば我が子を探し当てる事が出来ると考えたからでした。幾年か経った時、希運禅師はたまたま母の住む故郷近くまで来る機会がありました。懐かしい母の顔を一目見たいと思いましたが、会ってしまってはお互いに恩愛の情に迷い、離れがたくなるのを恐れ、どうしたものかと思案していました。希運禅師は我が家近くに至った時に、母親は失明してしまった事、旅僧を宿泊させている事を耳にしました。それならば母には気づかれないだろうと思い、生家を訪ねる事にしました。息子と分からない様に瘤のない方の足を二度差し出して、実母に洗ってもらいました。目の見えない母には正体を隠し、懐かしい実家で一夜を明かしました。そして翌朝、そっと母の元を立ち去りました。その様子を見かけた故郷の希運禅師の知り合いが母の家に来て、「昨夜は久しぶりにご子息に会えてさぞ嬉しかった事でしょう」と希運禅師の母に言葉をかけたのです。その言葉に母親は驚き、失明したばかりに我が子に気づかず、息子も母と知りながら恩愛の情を断てなくなる辛さから黙っていた事に涙しました。それでも母はやはりもう一度息子に会いたい一心で、杖を片手に泣く泣く我が子の後を追いかけたのです。日が暮れた頃、希運禅師は渡し舟に乗って河を渡って行くところでした。母はその事を聞きつけ、我が子の舟を追いかけ、我を忘れて河の中に入っていきました。しかし川底は深く、河の流れは急で哀れにも母は水に流されてしまい二度と浮かんではきませんでした。沈みゆく母の声を聞いた希運禅師は舟を岸に返させましたが、もう母の姿は見えませんでした。そこで経文を唱え、母の名を呼び松明を河に投じたところ、松明の落ちた所に母の亡骸が浮かび上がり、火は消える事なくほのかに明るい母の安らかな死に顔を照らしていたそうです。
 この世での死別は必然で避ける事は出来ません。しかし御浄土でまた会える喜びが希望となります。希運禅師の脳裏にはいつまでも光る松明と、明るく輝く母の面影が残っていた事でしょう。私たちも後世での再会を希望の灯と、日々お念仏を申して過ごして参りましょう。

 

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