和尚のひとりごと№1450「浄土宗月訓カレンダー9月の言葉」
和尚のひとりごと№1450「継続とはあきらめないこと」
仏教には「業(ごう)」という考えがあります。自業自得(じごうじとく)という言葉があるように、自ら為した事は自らが受けていかねばならないという事です。「業」には“行いを起こす前の自分自身の意志”と、その“意志によって起こした行動や発した言葉”と、その“行いによって起こってくる影響力”の三つがあり、その順序によって展開されます。良い事も悪い事も全て“自分の意志”と“行動”と“影響力”によって自分が受けていく事となります。出来るだけ良い行いを継続し、困難にもめげず、日々努力精進していく事が仏道であります。
「木鶏子夜に鳴く(もっけいしやになく)」という言葉があります。木彫りの鶏(にわとり)は子の刻(午前0時)に鳴くという訳になります。中国の宋という時代に風穴延沼(ふけつえんしょう)という禅僧が示された言葉です。木彫りの鶏のように落ち着いた心で、人々が寝静まった真夜中でも人知れず努力し、決してあきらめず続けていく人こそ優れた大人物という意味です。
昔、中国に鶏同士を戦わせる闘鶏(軍鶏)を育てる名人がいました。その噂を耳にした国王が名人を呼び寄せ、「国のために強い闘鶏を育てて欲しい」と頼むと名人は快く引き受けました。名人は早速闘鶏の訓練を始めました。国王は闘鶏が育つのを心待ちにしておりましたが、我慢出来ず、数日経って名人を尋ねると、「まだまだですので、今はゆっくりお待ちください」と首を横に振りました。また幾日か経って、「もうそろそろ強くなったのではないか」と国王が名人に尋ねると、「まだまだです」と名人は答えられました。そんなやり取りが繰り返されて数ヶ月が経ち、ついに闘鶏育ての名人が一羽の闘鶏を国王に献上しました。そして名人は国王に、「どれだけ強くてもその強さを見せびらかしたり、自惚れている間は本物ではありません。虚勢や威嚇などは未熟な心から生じるのです。しかしこの鶏なら大丈夫です。他の鶏がどんな鳴き声をあげても全く動じず、木彫りの鶏の如く平然としています」と述べられました。
木鶏とは泰然自若(たいぜんじじゃく)とした落ち着いた境地であり、無心の状態こそ本物の強さだという意味です。それを元に風穴延沼禅師は、「木鶏子夜に鳴く」という言葉を遺されました。誰もが寝静まった子の刻(真夜中)に人知れず努力を重ね、善い行いを継続してあきらめない精神こそが優れた人柄となるのです。無理せずゆっくりと出来るだけ人のお役に立てる善い行いを継続して過ごして参りましょう。