和尚のひとりごと№1224「聖光上人御法語後遍三十一」

和尚のひとりごと№1224「聖光上人御法語後遍三十一」

 

弟子弁阿弥陀仏(べんあみだぶつ)は、故(こ)法然上人より此(かく)の如(ごと)き種種(しゅじゅ)に念仏の法門を受け伝えて候なり。日本国の一切の人人(ひとびと)を助け奉らんがために、年七旬(よわいしちじゅん)に成りて最後の化導(けどう)と存じて、わななくわななく注(ちゅう)し置き候なり。実(まこと)しく往生を願い給わん人人は、様風流(さまふうりゅう)なくただ心に極楽を欣(ねが)い、口に南無阿弥陀佛と申して、あしからん業(ごう)を作(な)さんをば随(したが)い給うべからず。あなかしこ、あなかしこ。

 

一切の人々を助く

弟子たる弁阿弥陀佛(べんあみだぶつ)は、亡き法然上人よりこのような種々(しゅじゅ)なる念仏の法門を受け継いだのである。日本国の全ての人々を救い奉らんがために、齢七十、これが最後の教化(きょうげ)であると思い、震(ふる)え慄(おのお)く中でご説明申し上げるのである。
真実(まこと)に往生を願う方々は、見た目の風流さなど差し置いてただ心に極楽浄土を欣(ねが)い、口では南無阿弥陀佛と称えて、良からぬ行いを為そうとする事には付き従ってはならぬ。あなかしこ、あなかしこ。

あなかしこ、あなかしこ。
ああまことに恐れ多く慎むべきことである。