和尚のひとりごと№1163「聖光上人御法語前遍二」
和尚のひとりごと№1163「聖光上人御法語前遍二」
第二 聖道を棄て浄土に帰す
曇鸞(どんらん)・道綽(どうしゃく)の二師、像法(ぞうほう)の終り末法(まつぽう)の始めに出て、忝(かたじ)けなくも釈尊の使者と為(な)って、特(ひと)り弥陀の教法(きょうぼう)を弘(ひろ)む鈍根無知(どんこんむち)の我等、たとい聖道(しょうどう)の根機(こんき)に漏(も)れて、即身に断惑(だんわく)すること能わずと雖(いえど)も、すでに念仏の法雨(ほうう)を降(ふ)らす。誰(た)れ人か甘露(かんろ)の妙味に潤(うるお)わざらん。
然れば則ち、先に聖道を学する人といえども、もし此の旨(むね)を知ることあらば、いずくんぞ聖道を棄(す)てて、浄土に帰せざらんや。
訳
曇鸞大師(どんらんだいし)と道綽禅師(どうしゃくぜんじ)の二大先徳は、像法の時代が終わり末法の世となろうとするその時に現われ、恐れ多くも釈尊その人に代わってただ阿弥陀仏の教えのみを広めた。
能力に劣り真実に昏(くら)い私どもは、たとえ聖道門が求める機根が具わらずして、この身のままに迷いを断つことが出来なくとも、すでに念仏の教えは雨の如くに降り注いでいる。誰が教えの美味であり微妙なる味わいの恵みを受けることがないだろうか。
であるからこそ、すでに聖道(しょうどう)を修学した人であっても、弥陀の本願によりて皆が平等に救われる旨を知る事ができれば、どうして聖道門(しょうどうもん)を捨て浄土門(じょうどもん)に帰することがないであろうか。
曇鸞大師
承明元年(四七六)から興和四年(五四二)、中国北魏時代の浄土教者。法然上人による「浄土五祖」の初祖。最初は中観派の空思想を研究、病をきっかけに長生の法に傾倒したが、「たとえ長生きをしても所詮は三界を輪廻する事からは逃れられない」との菩提流支三蔵のことばに打たれて浄土教に帰入したと伝えられる。
道綽禅師
河清元年(五六二)から貞観一九年(六四五)、隋・唐代に活躍した浄土教者。同じく浄土五祖の一人。最初は『涅槃経』を研究するが曇鸞との出会いにより帰浄。末法の凡夫に相応する教えとしての浄土門を称揚した。
像法、末法
仏教では釈尊滅後の時代を正法・像法・末法の三時に分類する。時代を経るにしたがい教(教え)・行(実践・修行)・証(悟りという結果)が段階的に失われてゆくという世界観。
聖道門、浄土門
道綽『安楽集』に由来する浄土教の教相判釈。釈尊一代の教えを、この世この身で覚りの果を得る聖道門と、次生にて極楽へ往生し彼の地で悟りの果を得ようとする浄土門とに分ける。