和尚のひとりごと№1195「聖光上人御法語後遍二」
和尚のひとりごと№1195「聖光上人御法語後遍二」 弁阿(べんな)が義は尋常(じんじょう)に三種あり。一つには道場に入らず浄衣(じょうえ)を着(ちゃく)せず、日を限らず、時を限らず、行住坐臥(ぎょうじ...
和尚のひとりごと№1195「聖光上人御法語後遍二」 弁阿(べんな)が義は尋常(じんじょう)に三種あり。一つには道場に入らず浄衣(じょうえ)を着(ちゃく)せず、日を限らず、時を限らず、行住坐臥(ぎょうじ...
和尚のひとりごと№1194「聖光上人御法語後遍一」 尋常行儀とは、尋常と云う文字をばよのつねとよむなり。 是れ則ち先に注し申す長時修の行なり。 世の常の行と申すは、毎日念仏を一万二万五万六万とも申すを...
和尚のひとりごと№1193「聖光上人御法語前遍三十一」 もし三万六万も念仏を始めて、一月二月(ひとつきふたつき)も申して、その後(ご)は打ち捨てて、一年も二年も念仏を申して、その後は打ち...
和尚のひとりごと№1192「聖光上人御法語前遍三十」 第四に長時修(ぢょうじしゅ)とは極楽に生れんと願(ねご)うて、先に明かす所の恭敬修(くぎょうしゅ)・無余修(むよしゅ)・無間修(むけ...
和尚のひとりごと№1191「聖光上人御法語前遍二十九」 無間修(むけんじゅ)を悪様(あしざま)に云う人あり。いわゆる凡夫(ぼんぶ)はいかでか此の無間修を修せん。その故(ゆえ)は隙(すきま)なく申すと云...