和尚のひとりごと№1214「聖光上人御法語後遍二十一」
和尚のひとりごと№1214「聖光上人御法語後遍二十一」 そもそも教(きょう)の如(ごと)く説(せつ)の如く念仏を修行(しゅぎょう)して、仏(ほとけ)を見たてまつるは浄土宗の意(こころ)な...
和尚のひとりごと№1214「聖光上人御法語後遍二十一」 そもそも教(きょう)の如(ごと)く説(せつ)の如く念仏を修行(しゅぎょう)して、仏(ほとけ)を見たてまつるは浄土宗の意(こころ)な...
和尚のひとりごと№1213「聖光上人御法語後遍二十」 口称名号(くしょうみょうごう)の念仏行者(ぎょうじゃ)の所期(しょご)は、見仏三味(けんぶつざんまい)を以て所期(しょご)とすべし。その故は口称念...
和尚のひとりごと№1212「聖光上人御法語後遍十九」 念仏三昧(ねんぶつざんまい)とは本願(ほんがん)、本見仏(もとけんぶつ)を以て所期(しょご)と為すがゆえに、口に名号(みょうごう)を称え、必ず仏(...
和尚のひとりごと№1211「聖光上人御法語後遍十八」 善導和尚(ぜんどうかしょう)の御意(みこころ)は、定散(じょうさん)ともに見仏(けんぶつ)を以て行者(ぎょうじゃ)の所期(しょご)と...
和尚のひとりごと№1210「聖光上人御法語後遍十七」 発得(ほっとく)は一種に非(あら)ず。現前(げんぜん)一種に非ず、種種(しゅじゅ)なり。或いは阿弥陀仏を見たてまつりて、極楽を見ざる発得もあるべし...