和尚のひとりごとNo1072「法然上人一代記 2」

和尚のひとりごとNo1072「法然上人一代記 2」
和尚のひとりごとNo1072「法然上人一代記 2」

2.誕生
この久米南条稲岡の庄(くめなんじょういなおかのしょう)の荘園を預かる押領使(おうりょうし)という役職にありました漆間時国(うるまときくに)夫婦は長く子宝に恵まれませんでした。
何とか跡継ぎを得ようと考えた二人は、もともと神仏への信仰が篤かったこともあり、近隣の北山神社におもむいては祈願し、また名刹本山寺(ほんざんじ)に詣(もう)でては子宝が授かるように一生懸命に手を合わせました。ところでこの本山寺は聖観音(しょうかんのん)さまと十一面観音菩薩さまを祀る由緒あるお寺でした。皆さんもご存じのように観音さまは、その大いなる慈悲のみ心で私たちに手を差し伸べて下さる菩薩さまであります。
その功あってかいよいよ二人に玉のような男児が授かりました。時に長承二年(一一三三年)四月七日のこと、藤原一門をはじめ貴族が大いに繁栄した平安時代も終わりをつげようとする頃でありました。
さてこの男児誕生の時、空にはついぞ見る事のない紫の雲がわきたち、また時国の屋敷の庭にあった椋(むろ)の木の枝には二流の白い幡(はた)がたなびき、得も言われぬ妙(たえ)なる美しい音(ね)が鳴り響いていたと伝えられています。
これを見た村人たちすぐに得心がいきました。「あのとき旅の僧侶が言われた、立派な聖(ひじり)この地に生まれるというのは、きっとこの事に違いない。」皆が皆そのように考えたのも無理からぬことでしょう。
この男児こそが後の法然上人その人でありました。