和尚のひとりごと№1947「浄土宗月訓カレンダー2月の言葉」
和尚のひとりごと№1947「ほのかな光で花は開く」
西方極楽浄土に咲く花は蓮の花です。お念仏を申して過ごしていたならば、最期臨終の夕べには阿弥陀様にお迎えに来ていただき、御浄土の蓮の台(うてな)に生まれさせていただけます。
中国、唐の時代、法照(ほっしょう)禅師というお方が記された『五会法事讃(ごえほうじさん)』に次のような言葉が記されております。
「此界一人念仏名 <此界で一人 仏の名を念ずれば>
西方便有一蓮生 <西方に便(すなわち)一蓮の生ずる事有り>
但使一生常不退 <但だ一生常に退せざらしむれば>
此花還到此間迎」 <此の花 還(かえ)って此の間に到りて迎う>
意訳すると、「この人間世界で、一人が仏の名を称えると、西方極楽浄土に忽(たちま)ち一茎の蓮が誕生する。ただ、一生の間、常にお念仏を怠らないようにすれば、この花が娑婆(しゃば)世界<人間の住む苦しみの世界>に還ってきて、その者を迎え取ってくれるのです」となります。
弥陀(みだ)三尊(さんぞん)と言って阿弥陀様の脇には、観音菩薩様と勢至菩薩様が仕えておられます。浄土の弥陀三尊の観音菩薩様は、少し腰を屈めて両手で往生人を乗せる為の蓮の台をお持ちです。これはお迎えの様子を表しておられるのです。お経の中では、「阿弥陀様を信じてお念仏申す者は、まさにこの世での命が終わろうとする時に、その人の目の前に阿弥陀様が直々に極楽浄土よりお迎えに来られる」と説かれています。<『無量寿経』第十九願>そして脇に仕えておられる観音菩薩様がお持ちの蓮の台に乗せてくださり、西方極楽浄土へと連れて行ってくださるのです。その蓮は、お念仏に出遇われ申した時に、西方極楽浄土に誕生した蓮なのです。法照禅師が記された「西方便有一蓮生」がまさにその様子なのです。
阿弥陀様はたった一度のお念仏でもお迎えに来てくださるとの約束です。たった一度申しただけのお念仏で既に御浄土には一茎の蓮が誕生しているのです。ほのかな光で誕生した蓮を育てていくのがお念仏の相続という事になりましょう。
最期臨終の夕べに大きな蓮の台に載せていただける様に日々お念仏を申して、その蓮を育てていくのです。非常に尊い先人の方が遺されたイマジネーションをもって、共々に御念仏申して参りましょう。