五重相伝の流れ その4
「四重」の相伝
「四重」は第三重に続き浄土宗の第三祖良忠上人による『決答授手印疑問抄(けっとうじゅしゅいんぎもんじょう)』により伝えられます。
この本は、聖光上人の『授手印』を読んで浄土門に帰依し、同じく聖光上人の手になる『念仏名義集(ねんぶつみょうぎしゅう)』に基づいて念仏信仰を深めていた天台僧の在阿(ざいあ)が、鎮西義以外の門流による説法や解釈に触れて感じた八十余カ条の疑問について、良忠上人がそれに答えて著わされた書であり、その名のとおりそれぞれの疑問に対する決答(けっとう)つまり解答が示されています。
内容は五種正行や正助二行、三心、五念門、三種行儀、四修といった浄土宗義の大事な問題でありましたが、良忠上人はここで、論証に拠るのではなく、三代相承の口伝(元祖より口伝えで脈々と伝えられてきた教え)に基づき、門弟たちの残した言葉によって答えています。つまり、理論ではなく、口伝で脈々と伝えられてきたという事実をもって正統性の根拠とされているのです。
さて五重相伝において取りあげられるのは、これらの中の一ヶ条であります。
念仏の尊さ、有り難さ、そして何よりもまことの信仰心を以て申す念仏の大切さが分かっても、日常生活に戻ってみれば様々な煩悩が沸(わ)き起こってきます。特に三毒と言われる貪(とん、むさぼりの心)、瞋(じん、怒りや憎しみの心)、痴(ち、愚かさ)が、時には信仰心に勝(まさ)って強くなることもあるでしょう。そのような心境で果たしてよいのでしょうか?
それに対しては、このように答えられています。
生来の三毒煩悩というものは、遥かな過去世より引き継いできたもので、時にそれが圧倒的な力を持ってしまうのも、いわば致し方のないことであります。加えてまことの信仰心というものは、尊いご縁でようやくめぐり合った念仏の教えに対し、今生の只今(ただいま)持ち始めたばかりの心であり、まだまだ煩悩に比べて弱いのも当然のことです。しかもそのように、煩悩が信仰心を上回ってしまう愚かな凡夫であるからこそ、阿弥陀仏の本願の力におすがりするのです。愚鈍(ぐどん)であり愚痴(ぐち)である事を深く反省する、その自覚があってこそ、阿弥陀仏の救済にあずかることができるのであります。
善導大師が『観経疏(かんぎょうしょ)』の「散善義(さんぜんぎ)」で示された「二河白道(にがびゃくどう)の譬え」には、まさに穢土(えど)にあって浄土の信仰の道を歩む私たちの姿が表現されています。
南北には荒れ狂う水火の大河が広がり、真ん中には白道(びゃくどう)が伸びている。
両岸の大河は衆生のむさぼりと怒りを、そして白道は衆生の清浄心(しょうじょうしん)を表すという。
背後(東岸)からは釈迦仏の声が道行きを勧め(発遣、はっけん)、
行先(西岸)からは恐れることなく進むように弥陀仏の声が招く(招喚、しょうかん)。
後にしてきた背後の東岸は、私たちの生きる娑婆(しゃば)の火宅(かたく)であり、目指す西岸は西方極楽浄土であるという。
「火宅」とは煩悩に満ちた迷いの世界を、火炎に包まれた住まいに喩えてそのように表現しています。
迷いの此岸から、仏のいる彼岸へと伸びるひとすじの白道、それこそが念仏者の歩むべき道であります。
以上、初重よりこの四重までが「前行(ぜんぎょう)」と呼ばれる準備段階であります。
これよりいよいよ第五重(正伝法、しょうでんぼう)に入り、厳粛なる儀式を通して教えの神髄が伝えられることになります。