和尚のひとりごとNo1297「浄土宗月訓カレンダー4月の言葉」
和尚のひとりごとNo1297「未来は善き縁で開かれる」
「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」<森信三(もりのぶぞう)>
2020年7月の「和尚のひとりごとNo628」で挙げた言葉です。教育者であり、哲学者でもあった森信三先生が遺されたものです。私たちの人生は、色んな出会いがあり、また別れもあります。出会いも別れもご縁です。沢山の人々とのご縁で生活しています。しかしそのご縁を大切にするかどうかは自分自身の「心」の持ち方で変わってまいります。その事を森信三先生はこの言葉の続きとして次のようにおっしゃられました。
「しかし、うちに求める心なくば、眼前にその人ありといえども、縁は生じず」
出会った事に「縁」を感じない限りは、眼の前にその人が居ても「縁」にはならないのです。「縁」を感じるとは、出会った事に対して意味を持たせ大切に受け入れるという事です。そのご縁を「良い出会い」と受け取る事で大切になるものです。そしてその「良い出会い」が“幸せ”へとつながるのです。“幸せ”と一言で言っても曖昧な言葉です。この事については、2019年1月「お念佛からはじまる幸せ」で書かせていただきました。どんなに充分と思われるものを受け取らせていただいても持つ人の「心」次第、受け取っていく側の「器」一つで毒にも薬にもなるものです。“幸せ”と受け取る心によって“幸せ”となるのです。
カール・ブッセ(1872~1918)というドイツの詩人が「山のあなた」という詩を書いています。
山のあなたの 空遠く 「幸(さいわい)」住むと 人のいふ
噫(ああ)、われひとと 尋(と)めゆきて 涙さしぐみ かへりきぬ
山のあなたに なほ遠く 「幸(さいわい)」住むと 人のいふ
詩の大意は、「山の向こうに“幸せ”が住んでいると聞いたので、大切な人と探しに行きました。けれども“幸せ”は見つからず仕方がないので涙ぐんで帰ってきました。それでもなお、山のもっと向こうに“幸せ”が住んでいると人は言うのです」
とても意味深い詩です。解釈も人それぞれです。どんなに充分と思われる“幸せ”を受け取ったとしてもそれを“幸せ”と思わない限り、いつまでも山のもっと向こう側にあるものだと思って探し求め続けるだけなのです。山の向こうから見れば、こちら側のあなた自身が“幸せ”なのです。持つ人の「心」次第、受け取り方次第です。今の出会いを「良い出会い」と受け止め、“幸せ”な善い未来を過ごしてまいりましょう。