和尚のひとりごとNo1266「浄土宗月訓カレンダー3月の言葉」
和尚のひとりごとNo1266「一つの言葉が励みとなる」
禅寺では「親切」を「深切」と書くそうです。「深く切る」とは、相手に生涯忘れられないかたちで意思や行いを示す事です。それは余計なお節介をしない事でもあります。親切で人情にあついのは良い事のようですが、相手の為だからといって何でもかんでも手を差し伸べていく事は、かえって相手の為にならない場合もあります。似た意味として、「獅子(しし)は我が子を千尋(せんじん)の谷に落とす」という言葉があります。獅子は生まれたばかりの我が子を深い谷に落とし、這い上がってきた生命力の高い子供のみを育てるという言い伝えからです。そこから転じて、本当に深い愛情をもつ相手には、わざわざ試練を与えて成長させる事を意味します。またはそのようにして成長させるべきであるという考えです。
『無量寿経(むりょうじゅきょう)』に「汝自当知(にょじとうち)」<汝(なんじ)、自(みずか)ら当(まさ)に知(し)るべし>という言葉があります。阿弥陀様が未だ仏となられる前、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)という立場で修行を志した時に世自在王仏(せじざいおうぶつ)という仏様から言われた言葉です。法蔵菩薩は全ての人々が救われていく道を求めていたのですが、それを聞いた世自在王仏は「汝、自ら当に知るべし」、「自分でそれを見つけていきなさい」と突き放したような言葉を返したのです。しかし、世自在王仏は冷淡な心持ちでこのように返答したのではありません。法蔵菩薩の心に堅く誓った素晴らしい志を本当に大切に思ったからこそ、あえてこのような言葉で返したのです。
自分自身の願いを叶えていく事は容易な事ではありません。その願いを確かなものとする為には何度も見つめ直していかねばなりません。世の為人の為にとなると尚更、「本当にこれでいいのか」「これで全ての人々が救われていく道となるのか」と自分自身の心の内に徹底して願いの確かさを追求し続けなければなりません。私たち人間の心持ちは法蔵菩薩のようにはなかなかいきません。志を持ってもその意志を持続していく事は困難です。まして自分自身の身を粉にして、世の中全ての人々を救う為の道を求めるとなれば到底無理な事です。しかし法蔵菩薩は「全ての人々が救われていく道」という深い願いを持っておられました。その事を世自在王仏は心から大切に思い、「汝自当知」と返答されたのです。確かな願いであるのか、確実に救いの道となるのか、法蔵菩薩に自ら覚らせる為にあえて発せられた言葉なのです。
法蔵菩薩は「汝自当知」という一つの言葉が励みとなり、五劫思惟(ごこうしゆい)という長い時間をかけて私たちに代わって修行してくださり阿弥陀仏と成られました。ただ口に「南無阿弥陀佛」と阿弥陀様の名前を呼ぶ、その声を聞いたならば救いに行くという誰もが行えるたやすい行を示されたのです。私たちは南無阿弥陀佛と称えれば必ず救われるのだというその言葉を励みに阿弥陀様の力強さを感じて過ごさせていただきましょう。