和尚のひとりごと№1180「聖光上人御法語前遍十八」
和尚のひとりごと№1180「聖光上人御法語前遍十八」
よくよく極楽を欣(ねが)い、よくよく阿弥陀仏を心に染(そ)めて申し居たる程に、自然(じねん)に三心(さんじん)を具足(ぐそく)するなり。無智の人の申すは、主(ぬし)は我が身に三心を具(ぐ)したる事をしらねども、三心を知りたる人の、此の人に付き副(そ)いて見れば、夜(よる)は終夜(よもすがら)申し昼は終日(ひねもす)に申す。
近くよりて問えば此の人の申す様(よう)は相(あ)い構(かま)えて、此のたび往生せんと思い取りて、此の念仏を申し始めてより、更に怠(おこた)ること片時(かたとき)も候わず。此の念仏を申しつけられて忘れ難く候なりと。
かく委(くわ)しく物語りするを聞くに、みなこの三心を学ばず習わず、よくよく習いたる人に少しも劣らず。此の人は是れ自然に三心を具(ぐ)したる人なりと。
訳
自然(じねん)に三心を具足す
よくよく極楽世界を願い、よくよく阿弥陀仏を心に引き寄せて、念仏を称えることにより、おのずと三心は具足するのである。
学のない人が申すに「あなた様はわが身に三心が具足しているか分からないでしょうが、三心を知る人がこの人に付き添ってみれば、夜は夜通し念仏を称え、昼も終日称えている」。そばに寄って尋ねてみればこの人が申すさまは誠に注意深く「今度こそ往生しようと決心して、このように念仏を称え始めてから、念仏を怠ることなど一時もございません。この念仏を申し渡されてより忘れることができないのでございます」と。
このようにつまびらかに話をするのを聞けば、誰もがたとえこの三心を学ばず修めずとも、よくよく学んだ人に引けを取ることはないことが分かる。この人こそがまさしく自然に三心を具足した人なのである。