和尚のひとりごと№1170「聖光上人御法語前遍九」

和尚のひとりごと№1170「聖光上人御法語前遍九」

第一に至誠心(しじょうしん)と申す文字をば訓(くん)に読むには、誠(まこと)の心を至(いた)すとよむなり。 偽(いつわ)る心は実(まこと)の心に非ず、厳(かざ)る心は是れまた誠の心に非(あら)ず。 誠の心と申すは慥(たし)かなる心を申すなり。 誠の心と申すは空(むな)しからぬ心を申すなり。 誠の心と申すは虚仮(こけ)の心なきを申すなり。 誠の心と申すは雑毒(ぞうどく)の心なきを申すなり。 この雑毒虚仮(ぞうどくこけ)の念仏が往生を得ざる念仏にて候。 この雑毒虚仮の心なくして真実の心を以て申す念仏は一(いつ)をも虚(むな)しき事は無し。 先ず雑毒虚仮の心無しという事を知りて是れを留(とど)むべし。是れを忌(い)むべし。

 

「至誠心(しじょうしん)」を読み下せば「誠(まこと)の心を致(いた)す」と読む。
偽る心は真実の心とは言えない。飾り立てる心もまた真実の心ではない。
真実の心というのは確固たる心のことである。真実の心とは空虚ではない心のことである。真実の心とは偽りの心がないことである。真実の心とは邪(よこしま)な心がないことである。
この邪と偽りによる念仏が往生することが叶わぬ念仏なのである。
この邪と偽りの心なく、真実の心をもって称える念仏にはひとつも空虚なるものがない。まずは邪と偽りの心がないという事を自らに自覚しそこにとどまるべきである。邪と偽りを禁忌(きんき)することである。

禁忌
禁じ、厭い避けること。

 

天台宗 白岩山聖福寺                                 現在の本堂は昔の学問所で、この学問所で、聖光上人が10代の頃に学んでいたと伝えられる。