和尚のひとりごと№1166「聖光上人御法語前遍五」

和尚のひとりごと№1166「聖光上人御法語前遍五」

 

念仏往生の願

阿弥陀仏の凡夫(ぼんぷ)にて法蔵比丘(ほうぞうびく)と云われたまう時、世自在王仏(せじざいおうぶつ)と申す仏の御前(みまえ)にて四十八(しじゅうはち)の大願(だいがん)を発(おこ)し給(たま)う時、その四十八願(しじゅうはちがん)の中に第十八願は念仏往生(ねんぶつおうじょう)の大願なり。彼の念仏往生の願の意(こころ)は、我れ仏に成りたらんに十方の衆生、我が浄土にうまれんと願(がん)じて、我が名(な)を称(とな)えんに生ぜずと云わば、正覚(しょうがく)を成(じょう)ぜじと立てたまえるなり。此れを一切衆生念仏往生の本願と申すなり。

 

阿弥陀仏がいまだ凡夫であり法蔵比丘と呼ばれていた時、世自在王仏(せじざいおうぶつ)と申される仏の御前(みまえ)にて四十八の願を起こし誓われた際に、その第十八願は念仏往生の大願であった。
この念仏往生の誓願の意図するところは、
「わたくしが仏と成り、十方の衆生がわたくしの浄土へ生まれたいと願って、わたくしの名前を称えたとしても生まれることが出来ぬならば、わたくしは正しき覚りを成就して仏となることはない」という内容を持つものである。これをこそ一切衆生念仏往生の本願と呼ぶのである。

世自在王仏
『無量寿経』に説かれる修行時代の法蔵菩薩を導いた仏。ローケーシュヴァララージャ。釈尊以前に出世した54番目の過去仏とされる。

曹洞宗 光明山 永禅寺                                 境内には聖光上人が、善導寺を建立にあたり、 寺地を定めるのにこの石に腰掛けて思惟したのだという「腰掛け石」がある。元はこの石は西側の小高い峯にあったという。