和尚のひとりごとNo1133「法然上人一代記 61」

61.念仏の教えは全国に

法然上人の遺骨は宝(ほう)瓶(びょう)におさめられ、貞永二年(一二三三)には二尊院の雁塔に奉納されたと伝えられます。その後分骨され、源智が文暦元年(一二三四)に知恩院を再興したとき、法難前のごとく御廟におさめられました。
建久4年(1193)には弟子の熊谷(くまがい)蓮生房(れんしょうぼう)が生前のお姿を写す上人の御像を上人誕生の地である久米南條(くめなんじょう)稲岡庄(いなおかのしょう)の屋敷跡に持参し、誕生寺を建立しました。その他、上人ゆかりの地には数々の寺院が建立され今日に至ります。
じつに法然上人ほど生前にたくさんの弟子を持った方はありません。またこれほど急速に広まり、多くの帰依者を生んだ念仏の御教えもまた、他に例をみないものでありましょう。まさしく僧俗を問わず、身分にかかわりなく、受け入れられたのが法然上人の勧められたお念仏でありました。
上人没後、側近であった源智上人の発願のもと、報恩の為につくられた仏像には四万六千人あまりの人々が結願し、遠く九州や東国、さらには東北地方にまでその影響が及んでいたことが分かります。
「念仏を申す人のそばに私がいます」
まさにそのお言葉通りにその教えは全国に広まり、弥陀の浄土を欣(ねが)うお念仏は宗派を問わずにたくさんの人々によって称えられているのであります。

法然上人一代記 完